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古地図でみる千里丘陵の歴史

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みなさん!大阪に「淡路(あわじ)」という地名がありますが、地名の由来を御存じでしょうか?

その昔、菅原道真が船で現在の淡路の近くに到着したときに、「ここが淡路島に違いない!」と勘違いしたことから、淡路という地名になったとされます。

 

いやいや(笑)、学問の神ともあろう方が、淡路と淡路島を間違わんだろう!?

そう思う気持ち、分かります。

 

ですが、この謎こそ、北摂の歴史を振り返る上で、大きな鍵の一つとなっています。

ということで、本日はそんな話題を交えながら、古地図をみながら北摂地域(特に千里丘陵)の成り立ちを考えましょう。

 

古地図でみる千里丘陵の歴史

淡路と菅原道真の縁浅からぬ関係

結構有名な事実ですので、御存じの方も多いでしょうが、現在大阪平野となっている土地は、かつては河内湖という内海となっていました。

内海と外海(大阪湾)を隔てるのが、いわゆる「上町台地」。古代に難波宮が上町台地に作られたときには、海を見下ろすようなロケーションとなっていました。

その後、堆積物が積み重なって、河内湖は次第に人が住める平地となっていきます。

菅原道真が淡路にやってきたときは、周囲はまだ海で、中洲が点在するような地形だったのでしょう。そこで、「船でやってきた」菅原道真は、ここが「淡路島」だと勘違いしたということです。

ということで、淡路には今なお「菅原」という地名が残り、菅原天満宮があります。

 

菅原天満宮

主祭神は菅原道真。社格は旧村社、創建は17世紀前半とされます。

901年太宰府に流される菅原道真がこの地でお休みになったことに縁起します。

901年の時点で、千里丘陵の南側にあたる淡路周辺は、多くの「島」で成り立っていたということを示すエピソードとなっています。

樹齢400年のクスノキは大阪市保存樹となっています。

 

千里丘陵とは何か?

さて、河内湖絡みで「上町台地」はしばしば語られることがありますが、北側に位置する「千里丘陵」にあえてフィーチャーする記事は多くありません。本ブログは北摂の名を冠していますので、当然「千里丘陵」に焦点を当てます 笑

千里丘陵は、古代大阪において、海の北側に位置する「台地」でした。

阪急千里線の豊津駅というのがありますが、豊「津」というのはそこが海に面していたことの証とされます。

大阪メトロ御堂筋線でいえば、江坂駅から北に向かうとやや急な斜面を登って緑地公園駅に到達しますが、その斜面の手前までがだいたい海だったと思われます。江坂も新大阪も吹田も、大昔は海の中だったんですね。

 

さて、吹田に垂水(たるみ)神社というのがあります。上町台地からほぼ真北に位置する、千里丘陵の南端です。難波宮のあった上町台地から、内海を挟んで対岸に千里丘陵から滴り落ちる立派な滝が見えたのではないかと推測されています。

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水都大阪:古代大阪の変遷より引用。

 

明治時代の地図より

さて、明治時代に測量された地図をみながら、引き続き千里丘陵の発展について考えていきましょう。

今昔マップ on the web(http://ktgis.net/kjmapw/index.html)より地図を引用しています。

明治42年の大阪です。黒くなっているところが人口密集地帯です。大阪市内と堺市内の一部が人口密集地帯として目立ちますが、その他の場所はほとんど田んぼですね。

そして、もともと狭い大阪平野ですが、目の上のたんこぶのように千里丘陵が広がっています。

明治時代には、千里丘陵は繁華街から離れたのどかな里山といった雰囲気だったのでしょうかね~

続いて、千里丘陵周辺の地図に、現在の駅の場所を重ねてプロットしてみると、このようになります。

如何でしょうか?現在と、全然印象が違いますよね。興味深くないでしょうか?

ちなみに、緑の点で表示した阪急宝塚線関連の駅、明治42年の時点ですでに存在しています!阪急電車の前身である「箕面有馬電気軌道」が、ほぼ同時期から宝塚線・箕面線の運行を開始しています。宝塚線は、千里丘陵の西側を回り込んで、箕面に入っていくというのもよくわかる図ですね。

一方で、現在の阪急京都線・千里線、大阪メトロ御堂筋線関連の駅は存在していません。

 

単なる里山・竹やぶの千里丘陵は、昭和中期まで続きます。(ちなみに、千里山は大正9年ごろからイギリスの田園都市をモデルに宅地開発が進んでいます)

「竹見台」という地名がありますが、千里が竹やぶだった時代の名残でしょうね。

 

1970年大阪万博に伴う千里の爆発的発展

単なる里山・竹やぶの千里丘陵の発展が一気に進んだのが、1970年大阪万博です。

古地図での万博記念公園の位置を見てください。何にもない山の中です!

万博会場を切り開き、中国自動車道を通し、また北大阪急行(大阪メトロ御堂筋線の江坂~千里中央間を運営)が開通したことで、一気に千里丘陵全体の開発が進みました。

この図を見ると、千里丘陵の発展にいかに1970年大阪万博と北大阪急行が大きな役割を果たしたかがよく分かりませんか?

北大阪急行は、現在阪急電鉄の子会社ですが、もともと採算性の問題から阪急と大阪市は新線建設に乗り気ではなかったようです。万博の開催決定後、国の主導で阪急と大阪府の出資により建設されることが決定がされました。ムダなインフラになるどころか、今は「大阪の真ん中を走ってる」ってことになってます 笑

千里中央方面を臨む図です。明治時代はおろか、昭和初期の人も、まさか千里丘陵にこんなに人が住むようになるとは夢にも思わなかったでしょう。

まさに1970年大阪万博によって、大阪は「千里」という都市資源を手に入れたのです。



西国街道~千里のバイパス

千里丘陵の裏側が気になる!(><)!

さて、千里丘陵周辺の古地図を眺めていたら、もう一つ面白いことに気が付きませんでしょうか?

ここ。千里丘陵の北側に、比較的平坦な土地があります。

これは何でしょう?

まだ大阪平野の多くが海で、千里丘陵の南端まで海が迫っていた時代を想像してみてください。

現在の京都方面から西へ向かうには、ここを通るしかなさそうです。この千里丘陵の北側は、古代日本の東西交通のメインルートになっていたということは容易に想像がつきます。

 

箕面(みのお)は千里丘陵のバイパスルート上の街

現在の駅をマッピングした図を拡大して良く見てみましょう。

・・・ここ、箕面(みのお)やん!!

 

そうです。旧西国街道・現在の国道171号線が箕面市内を通過しているのは、まさにこういう地形的要因によってです。とすると、箕面は古代日本のメイン交通ルート上にあったということになります。古代箕面は、千里丘陵のバイパスルートだったと思われます。

あまりメジャーではありませんが、箕面には古い歴史の神社仏閣が数多くあります。箕面の歴史が古いのは、地勢学的な必然だったといえます。

大阪の歴史については、ぜひ、以下の記事もご覧ください。

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まとめ

いかがだったでしょうか。淡路・豊津などの千里丘陵の「南側」、かつては竹やぶだった千里丘陵、そして箕面などの千里丘陵の「北側」にはそれぞれ辿った歴史がありました。

千里丘陵自体の歴史については、新千里東町のHPによくまとめられています。

歴史 豊中市新千里東町

千里の発展は、北摂の発展そのものとも言えます。

千里の発展には1970年の大阪万博が大きな役割を果たしました。2025年の大阪万博は、いったい何をもたらすのでしょうか?

 

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