少し前のニュースになってしまいますが、2020年に入って間もなく、1996年の年度代表馬サクラローレルが死亡したと報道がありました。
ディープインパクト前後の時代から競馬は全く見なくなってしまったので、最近のことは良くわからないのですが、サクラローレルを筆頭とする、かつて「古馬3強」と呼ばれた馬たちには少々思い入れがあります。
ということで、普段は大阪の街の発展を記録している当ブログの趣旨とは異なるのですが、本日は競馬の話題を少々させてください。
競馬に興味がない方も、なるべく面白く読んでもらえるように、少々物語仕立てにしてみましたので、お付き合いください。
古馬三強の物語
「古馬3強」とは、1996年~1997年ごろに活躍したサクラローレル、マヤノトップガン、マーベラスサンデーの三頭です。
その三頭含め、主な登場人物(馬)の6頭をまとめておきます。
<古馬三強>
・サクラローレル 1996年年度代表馬 GI 2勝(天皇賞春、有馬記念) 2020年死亡
・マヤノトップガン 1995年年度代表馬 GI 4勝(菊花賞、有馬記念、宝塚記念、天皇賞春) 2019年死亡
・マーベラスサンデー GI 1勝(宝塚記念) 連帯率80% 2016年死亡
いずれも足元が弱く、クラシックでは十分に活躍できませんでしたが、古馬になって大成した馬たちです。
<その他強豪たち>
・ナリタブライアン 1994年年度代表馬 GI 5勝(朝日杯、皐月賞、日本ダービー、菊花賞、有馬記念) 1998年死亡
・バブルガムフェロー GI 2勝(朝日杯、天皇賞秋) 2010年死亡
・エアグルーヴ 1997年年度代表馬 G1 2勝(オークス、天皇賞秋) 2013年死亡
クラシック戦線でも注目されていたため、古馬三強に比べると華がある印象です。
※馬の年齢表記は、当時のものとなっています。2020年現在は1歳マイナスした年齢表記です。
序章:1994年
ナリタブライアン 4歳
サクラローレル 4歳
スポーツのような筋書きのないドラマでは、結果から振り返ってみたら過去の勝負にも重大な意味があったということがしばしばあります。
古馬3強の物語の最高潮のドラマが待っているのは、1997年春の天皇賞ですが、その物語は1994年から始まっていたと思います。
1994年の競馬界の話題をさらったのは、皇帝・シンボリルドルフ以来のクラシック三冠を達成したナリタブライアンでした。シャドーロールの怪物と呼ばれたナリタブライアンは、クラシック三冠に引き続いて有馬記念も快勝し、1994年の年度代表馬に選出されます。
後に古馬三強の最強馬となるサクラローレルは、ナリタブライアンと同世代です。しかし、光輝くナリタブライアンに対し、サクラローレルは怪我で一度もクラシックに出場することは叶いませんでした。当時は全くの無名馬だったのです。
古馬3強の物語はここから始まります。
1995年:マヤノトップガンの台頭
ナリタブライアン 5歳
サクラローレル 5歳
マヤノトップガン 4歳
1995年になるとナリタブライアンも怪我で休養に入ります。
そして、ナリタブライアンのひとつ下の世代のクラシック戦線は低調でした。秋の菊花賞では、牝馬(メス)のダンスパートナーが一番人気になる始末・・・
そんな菊花賞を勝ったのが、まだまだ評価が高くなかったマヤノトップガンでした。
マヤノトップガンは、そのまま古馬との対決となる有馬記念にも出走し、あれよあれよという間に逃げ切ってGI2勝の成績を上げます。
こうして、マヤノトップガンは1995年の年度代表馬に選出されますが、正直なところ不意打ちで勝ったという印象が強く、実績のわりに実力は評価されていませんでした。
一方、ナリタブライアンは秋に復活しますが、天皇賞・秋、ジャパンカップ、有馬記念と不本意な成績で1995年を終わります。
また、未だ無名であったサクラローレルは1月の中山金杯(GIII)を快勝するものの、その後また骨折。一時は安楽死処分も検討されるほどの状態となりますが、どうにか1996年へ向けて調整を続けました。
そうして激動の1996年を迎えます。
写真ACより
1996年:サクラローレル王座へ、マーベラスサンデーの台頭
ナリタブライアン 6歳
サクラローレル 6歳
マヤノトップガン 5歳
マーベラスサンデー 5歳
バブルガムフェロー 4歳
エアグルーヴ 4歳
役者は揃う。
名勝負の条件:阪神大賞典
この3強の物語において、最高にドラマチックなレースとなるのは1997年・天皇賞春ですが、それ以外に見るべきレースを一つ挙げるとするならば、この1996年・阪神大賞典(G II)を除いて他にないでしょう。
レースのグレードはG II ながら、1994年の年度代表馬ナリタブライアンと、1995年の年度代表馬マヤノトップガンの出走が話題となりました。
復帰後やや精彩を欠く三冠馬ナリタブライアンと、強いのか強くないのか良くわからないマヤノトップガンの対決、ネームバリューは問題なくとも、やや微妙な空気が流れるビッグネームの対決となりました。
しかし、1996年阪神大賞典は競馬史上でも屈指のレースと謳われる、素晴らしいレースとなりました。競馬を見たことがない人にも、是非見てもらいたいレースです。当ブログから動画へのリンクは行いませんが、「1996年 阪神大賞典 動画」のキーワードで検索して、是非一度ご覧になってください。
競馬はもちろん2頭で行うものではありませんが、ラスト400mは他の馬たちを置き去りにするナリタブライアンとマヤノトップガン、2頭の年度代表馬によるマッチレースとなりました。
壮絶な叩き合いの末、最後の最後にナリタブライアンがアタマ差マヤノトップガンを抑えて、1年ぶりの勝利を挙げました。
精彩を欠いていた三冠馬ナリタブライアンの復活にファンは沸き、またその強さにイマイチ疑問符のあったマヤノトップガンもその強さを証明した形となりました。
名勝負の条件とは何でしょうか?
競馬に限ったことではありませんが、私は、勝った者が評価されるだけでなく、負けた者の評価も上がる勝負こそが、名勝負の条件の一つと考えます。
そういう意味では、1996年阪神大賞典は、そのレース内容と相まってまさに稀にみる名勝負であったのだと思います。
そしてこの阪神大賞典が、古馬三強の物語の本当の意味においてのプロローグとなります。
サクラローレルの戴冠:天皇賞春
続いて舞台は阪神競馬場から京都競馬場へ。天皇賞春(G I)を迎えます。
前戦で壮絶な勝負を演じたナリタブライアンVSマヤノトップガンの再度の対決が話題となります。
しかし、虎視眈々と王座を狙うもう一頭の馬がいました。ナリタブライアンの同期ながら、当時まだほぼ無名であったサクラローレルです。
サクラローレルは生死を彷徨う壮絶な怪我から復活し、中山記念(G II)を勝利、いよいよ古馬一線級に戦いを挑むときとなりました。
当時、そんな視点でこのレースを見ていた者は、ほとんどいなかったでしょう。人の予想した筋書きをあっさりと超えていく所にこそ、本当のドラマがあります。
レースはナリタブライアンとマヤノトップガンを中心に進行します。そして、まるで阪神大賞典の再現のように、二頭が先頭で最終コーナーを回ります。この瞬間、ほとんどの人が、阪神大賞典に続く二頭の壮絶な勝負を予想したことでしょう。
しかし、ナリタブライアンが一旦先頭に立つとマヤノトップガンはあっさりと失速。
そのままナリタブライアン勝利かと思ったのも一瞬、サクラローレルがナリタブライアンを捉え、末脚を伸ばしてナリタブライアンを更に突き放して勝利します。
ノーマークであった利はあるとはいえ、二強を完全に突き放していく強い勝ち方は、新しいチャンピオンの誕生を予感させました。
ナリタブライアンの同世代でありながら、何度も怪我に泣いてきた強豪が、「大器晩成型」としてトップへ駆け上がった瞬間でした。
それぞれの夏・マーベラスサンデーの台頭
サクラローレルはそのまま一旦休養に入りました。
ナリタブライアンはその後、本来の適正距離より短い高松宮記念(GI)に参戦し4着。その後、引退となります。3200m → 1200mの距離が違いすぎる激闘が、負担となったのかも知れません。一つの時代の終焉です。
マヤノトップガンは強敵不在の宝塚記念(GI)を快勝して秋に備えます。
また、1997年にこの物語に絡んでくるエアグルーヴは、優駿牝馬・オークス(GI)を勝利して同世代女王となります。
そしてこの時期、破竹の勢いで勝ち進む一頭の馬がおりました。古馬3強最後の一角、マーベラスサンデーです。
マーベラスサンデーはマヤノトップガンの同期ですが、やはり怪我に泣きクラシックを棒に振りました。
しかし、新馬のときに調教で古馬オースミタイクーンをぶっち切るという驚愕の能力を見せ、クラシックも期待されて主戦騎手が武豊に決まっていました。武豊は、今でこそ以前の勢いに陰りがみられるものの、当時は天才の名を欲しいままにしていました。
歴史にifはないというのは陳腐な表現ですが、1995年のクラシック戦線は低調であったこともあり、もしもマーベラスサンデーが参戦していたら、皐月賞や日本ダービー勝利のチャンスはあったのではと思います。マーベラスサンデーは天才・武豊がデビューから引退まで一貫して乗り続けた数少ない馬の一頭ですが、もしかしたらクラシック勝利のチャンスを逃したことに対しての思い入れが武豊騎手にあったのかも知れません。
一年の休養から明けたマーベラスサンデーは、これまでの鬱憤を晴らすかのように勝ちまくり、エプソムC(G III)、札幌記念(G III)、朝日チャレンジC(G III)、京都大賞典(G II)と重賞4勝を含む6連勝を飾ります。
当時、「この夏最大の上り馬」と評されていたのを覚えていますが、何のこともない、もともとクラシックも期待された逸材が復活しただけの話です。
そうして古馬3強初のそろい踏み、1996年・天皇賞秋を迎えます。
古馬3強・第1ラウンド:天皇賞秋
1996年の天皇賞・秋(G I)は、前哨戦のオールカマー(G II)を快勝したサクラローレルが1番人気、破竹の6連勝のマーベラスサンデーが2番人気、オールカマーではまさかの大敗を喫した気分屋マヤノトップガンは4番人気となりました。
3強に割って入り3番人気となったのは、4歳馬バブルガムフェロー。バブルガムフェローもクラシックを期待されながら怪我に泣き、距離適性を考慮されて、クラシックの菊花賞よりも古馬との対決となる天皇賞を選択したという非常にユニークな馬でした。
結果は、まさかの1着バブルガムフェロー、2着マヤノトップガン、3着サクラローレル、4着マーベラスサンデー。
サクラローレルは直線で馬群に閉じ込められて本来の力が発揮できず、そしてサクラローレルをピッタリとマークしていたマーベラスサンデーもサクラローレルと心中という、やや後味の悪いものとなりました。
そして4歳馬にして初めて天皇賞を制したバブルガムフェローでしたが、次のジャパンカップ(G I)では人気に反して大敗。しかし、その後もしぶとく3強のドラマに絡んでくることとなります。
古馬3強・第2ラウンド:有馬記念
そして迎えた1996年総決算の有馬記念(G I)。一年前と比べて勢力図が一気に塗り替わった1996年を振り返る、感慨深いレースとなったのを覚えています。
1番人気はサクラローレル、2番人気はマヤノトップガン、3番人気がマーベラスサンデー。3強が人気を分け合う、まさに第2ラウンドに相応しい戦いとなりました。
結果的には、このレースはサクラローレルの強さばかりが目立つレースとなりました。最後の直線ではマーベラスサンデーが先行し、マヤノトップガンはまた失速。途中、サクラローレルがマーベラスサンデーを捉えると、そのまま突き放していくという強い勝ち方になりました。
1着 サクラローレル
2着 マーベラスサンデー
マヤノトップガンは7着・・・
そうして、サクラローレルは1996年の年度代表馬に選出されました。
京都競馬場:写真ACより
1997年:3強の激闘の結末
サクラローレル 7歳
マヤノトップガン 6歳
マーベラスサンデー 6歳
バブルガムフェロー 5歳
エアグルーヴ 5歳
そして運命の1997年天皇賞・春に時は向かいます。
マヤノトップガンは前哨戦の阪神大賞典(G II)を、なんと最後方からの追い込みで快勝しました。
マーベラスサンデーは前哨戦の大阪杯(G II)を堅実に勝利。
そして、フランスの凱旋門賞を目指すサクラローレルは、ぶっつけでの天皇賞春への挑戦となりました。
古馬3強 第3ラウンド:伝説の天皇賞春
舞台は再び淀の京都競馬場。1番人気は1996年の年度代表馬にして、前年の天皇賞春も勝利しているサクラローレル、2番人気は1995年の年度代表馬にして前哨戦快勝のマヤノトップガン、そして3番人気が悲願のGI制覇を目指す脅威の連帯率83%の優等生マーベラスサンデーとなりました。
このレースは、絶対、動画で見てください。できれば関西TVの杉本清アナウンサーの実況付きのものが素晴らしいです。「1997年 天皇賞春 動画」です。
こんな三頭のレース、ついぞ見た事がない、見事な戦いです。
文章にすると臨場感が半減いたしますので、是非動画をご覧になってください。今見ても痺れる戦いです。
かかり気味に前を潰しに行くサクラローレル、それをピッタリとマークするマーベラスサンデー、そして少し遅れて大外に持ち出すマヤノトップガンという状態で、最後の直線を向きます。
いったん先頭に立つサクラローレル。
それをかわして先頭となるマーベラスサンデー。
悲願のGI勝利かと思われたのもつかの間、恐るべき底力で内から差し返すサクラローレル。
それに食い下がるマーベラスサンデー。
二頭の叩き合いかと思ったところ、大外からもの凄い勢いで突っ込んでくるマヤノトップガン。
三頭を捉えていたカメラワークと、杉本清アナウンサーの実況が絶妙です。
「大外から何か一頭飛び込んでくる!」
「トップガン来た、トップガン来た。やっぱり三強の争いだ!」
最後の攻防は、ぜひ動画でご覧ください。
結局、1着マヤノトップガン、2着サクラローレル、3着マーベラスサンデーで決着いたしました。3分14秒4は当時の芝3200mの世界レコードという、驚愕の結果でした。
勝った者も、負けた者も、見事なレースでした。
強いのか弱いのかイマイチ分からない気ムラなマヤノトップガンは、最後に最高のレースをして真の強さを見せつけました。
また、内がサクラローレル、中がマーベラスサンデー、外がマヤノトップガンというのも絶妙で、ショー的な観点からも、3頭の争いが際立って見える配列だったと思います。
このレースが、私が競馬を見た中で、最高のレースです。
そして、古馬3強の戦いはこのラウンド3が最後となってしまいます。超高速勝負が負担となってしまったのか、マヤノトップガンはこれで引退。凱旋門賞を目指して欧州へ渡ったサクラローレルも、前哨戦で怪我をしてそのまま引退となりました。欧州の馬場が合いそうなサクラローレル、もしも万全の状態で凱旋門賞に出場していたら、かなりいい勝負をしたかも知れません。
1997年天皇賞春は、まさに競走馬人(馬)生をかけた激闘だったのです。
宝塚記念:マーベラスサンデーようやく戴冠
3頭の戦いは終わりましたが、3強の物語はまだまだ続きます。3強最後の一角マーベラスサンデーの晩年の活躍こそ、この古馬3強の物語を更に格上げするに相応しいものだからです。
夏の宝塚記念(GI)で、マーベラスサンデーは昨年の秋の天皇賞で苦杯を飲んだバブルガムフェローを完封して、悲願のGI制覇を達成します。
武豊騎手が「やっとGIを勝たせてあげることができました」とインタビューで答えていたのを覚えています。能力を期待されながらクラシックに出場することができず、古馬になってからは強豪に勝利を阻まれてきたことに思いもあったのでしょう。
そして、マヤノトップガン、サクラローレル亡き後、昨年天皇賞で敗北させられたバブルガムフェローにライバルたちの分まできっちり借りを返した勝利でもありました。
しかし、また軽い骨折を発症したマーベラスサンデーは休養に入ります。
天皇賞秋:サイドストーリーその1
3強の物語を主軸に据えたとき、1997年の天皇賞・秋は「サイドストーリー」となるのですが、このレースで主役を張った馬たちにとってはもちろん「メインストーリー」。
このレースの主役は、宝塚記念2着の後、毎日王冠(GII)を勝利したバブルガムフェローと、前年のオークスを制した牝馬エアグルーヴでした。いずれの馬たちにとっても、彼らが主人公の物語を書くとするならば、このレースはベストレースの一つに入るでしょう。
エアグルーヴの鞍上は天才・武豊騎手でした。
東京競馬場の長い直線でのバブルガムフェローとエアグルーヴの壮絶なたたき合い。当時は牝馬(メス)が牡馬(オス)と対等以上に戦うことは珍しかったことを思えば、まさにエアグルーヴの生涯最高のレースと言えるでしょう。
激戦をわずかに制したのは、エアグルーヴ。前年の優勝馬バブルガムフェローを倒しての勝利で、「女帝」として今後GI戦線に君臨するきっかけとなったのです。
ちなみにこのレースで大逃げを打ったのは、1998年に「伝説的な逃げ馬」としての名声を獲得していくサイレンススズカでしたが、それはまた別の物語・・・
凱旋門賞:サイドストーリーその2
凱旋門賞はフランスのパリで行われる世界最高峰のレースであるが、三強の物語の完結に向けて遠回しに関連してくるところが、1997年戦線の面白いところだと思います。
本来であれば、三強の最強馬・サクラローレルが挑戦するべきレースでした。
しかし、サクラローレルは前哨戦で故障してそのまま引退。
日本馬の参加なく行われたレースは、仏ダービーを勝利したパントレセレブルが1着、2着は前年も2着だった強豪ピルサドスキーという結果になりました。
サクラローレルがもし参戦していたとしたら、どうなったでしょうか?
パントレセレブル、ピルサドスキーともに2400mでの勝利はありますが、血統的には短距離系であったことを考慮すれば、本格派ステイヤーのサクラローレルにも勝機があったのではないかと思います。
ジャパンカップ:サイドストーリーその3
次なるサイドストーリーの舞台は、東京競馬場で行われる国際レース・ジャパンカップ(GI)。
天皇賞・秋で激闘を演じたバブルガムフェロー(1番人気)とエアグルーヴ(2番人気)の再戦が話題となります。そこに割って入るのが、凱旋門賞2着の海外の強豪ピルサドスキー(3番人気)。
前戦で激闘を制した「恐るべき牝馬」エアグルーヴが2番人気というのは、前回の勝利をまだまだラッキーパンチだと思う一定数のファンがいたということを物語っています。
しかし、ふたを開けてみると、勝利したのはピルサドスキー。それに食い下がる底力を示したのがエアグルーヴ、少し離れた3着がバブルガムフェローという結果でした。
海外の強豪相手にも引けを取らず互角に戦うエアグルーヴの姿は、まさに女帝としての名に相応しいものでした。
古馬3強にスポットを当てた物語ですので、どうしてもサイドストーリー扱いになってしまうのですが、1997年天皇賞秋、そしてジャパンカップもかなりの名勝負なのだと思います。
有馬記念:最後の戦い
春に激闘を演じた古馬三強も、サクラローレル、マヤノトップガンが引退し、残るマーベラスサンデーも長期休養と寂寥の感を禁じえぬ秋戦線を盛り上げたのは、間違いなくエアグルーヴとバブルガムフェローの2頭の5歳馬でした。
そして、満を持して1997年有馬記念にマーベラスサンデーが復帰を果たします。
三強最後の一角マーベラスサンデー VS 女帝エアグルーヴ VS 新興勢力の4歳馬
という構図。
ここで、秋戦線エアグルーヴとともに戦ってきた武豊騎手は、エアグルーヴではなくマーベラスサンデーを選択しました。武豊騎手が、能力的にマーベラスを上を判断したのか、クラシックを戦えなかった無念を果たそうとしたのかは分かりませんが、この選択によりマーベラスサンデーはデビューから最後の戦いまで一貫して武豊騎手が騎乗したということになります。
宝塚記念(GI)を勝利しているマーベラスサンデー、有馬記念を勝利すれば間違いなく年度代表馬に選ばれるでしょう。1995年年度代表馬マヤノトップガン、1996年年度代表馬サクラローレル、そして1997年年度代表馬マーベラスサンデーとなって3強の物語は幕を閉じる。当時、そのように考えていたことを懐かしく思い出します。
そして、第4コーナーを回って最後の直線に入ってしばらくの間、その筋書きは現実のものにあると思っていました。
エアグルーヴも強いレースをするものの、それを力でねじ伏せて先頭に立つマーベラスサンデー。
「勝った!(単勝馬券あり 笑)」
そう思ったのもつかの間、荒れた馬場をついて4歳馬シルクジャスティスが強襲、そのまま突き抜けて勝利します。菊花賞では1番人気になったほどの実力馬でしたが、菊花賞、ジャパンカップと良いところなく有馬記念に参戦していたこともあり、完全に「伏兵」でした。
伏兵に打ち取られ、マーベラスサンデーの最後のレースの幕が下りました。
1着 シルクジャスティス
2着 マーベラスサンデー
3着 エアグルーヴ
これが、三強の物語の結末。
武豊騎手が、マーベラスサンデーは最後に力を抜いてしまうところがある、と言っていましたが、まさに不意を突かれての敗北でした。ですが、負けてなお強い内容。有馬記念は2年連続での2着と、底力を見せつけました。
なによりも、女帝エアグルーヴを下したことを評価したいです。
マーベラスサンデーは、1997年秋戦線を盛り上げたバブルガムフェロー、エアグルーヴという2頭の強豪に、宝塚記念、有馬記念でそれぞれ勝利したのです。これは、「古馬三強」の格を上げるラストストーリーだと思います。そして、不意を突かれなければサクラローレルやマヤノトップガン以外には負けないという矜持を示したものだとも思います。
そういった地味だが健気な強さに心打たれて、マーベラスサンデー号のぬいぐるみを購入したのも懐かしい思い出。
1997年の年度代表馬は、マーベラスサンデーが負かしたエアグルーヴに決定しました。有馬は3着でしたが、牝馬として牡馬に対等に張り合った実績は、素晴らしいものだと思います。
年が明けてまた屈腱炎を発症したマーベラスサンデーはそのまま引退となりました。種牡馬としては、重賞ウイナーを何頭か輩出し、中山大障害(GI)勝利馬を2頭出したこともあり、サクラローレルやマヤノトップガンよりも成功したといえるかもしれません(シルクフェイマスは天皇賞春・有馬記念3着、宝塚記念2着もあり!)。
サクラローレルの死のニュースから、このぬいぐるみが再び陽の目を見ることになって良かった。
そんなマーベラスサンデーも、今ではこんな美少女(ウマ娘)になっていた 笑
まとめ
古馬3強の物語、如何だったでしょうか。
サクラローレル、マヤノトップガン、そしてマーベラスサンデーともに遅咲きの名馬で、それぞれ個性的な味があっていい組み合わせだったと思います。
そして、ナリタブライアンから3強を経てエアグルーヴへとタスキが繋がれていく物語が、最高にドラマチックではないでしょうか。
単に、懐古厨なのかも知れません(笑)。けれども、この後に続くグラスワンダーやエルコンドルパサーの世代までのシーケンスが、個人的には競馬をとても面白く見れた時代だったと思います。これ、映画化できるほどドラマチックな物語じゃないですか??
なお、当ブログは競馬ブログではありません 笑
20世紀の名馬、プレイバック。サクラローレル、マヤノトップガン、マーベラスサンデー3頭とも収録あります。