大阪と丹波方面を結ぶ能勢の基幹道路・国道173号線からもほど近い能勢・森上に、境内に桜さく小さな神社が鎮座しています。
岐尼(きね)神社:境内に桜咲く能勢の神社
小さな集落の中の神社ですが、とてもきれいに整備されています。
創始は782年、祭神は「天児屋根命(あめのこやねのみこと)」「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」「源満仲」とされます。
アメノコヤネ(天児屋根命)とニニギ(瓊瓊杵尊)が祭神であるというのは、極めて奇妙なことですが、それについては記事後半でまとめます。
明神鳥居ですが楔(くさび)がないタイプ。
境内はきれいに整備されています。
境内のきわには桜の木が数本並んでおります。
由緒を読むと大いなる謎が・・・
「キャ~桜がきれい~!」
というノリだけで訪れた岐尼(きね)神社ですが、由緒を読むとその歴史は意外と深く、謎がかえって深まってしまいました。
この神社には、古代能勢がどんなものだったのか、その謎を解く鍵があるのかも知れない・・・
(上記説明板より一部抜粋)
「ニニギノミコト」といえば、天孫降臨の神話にある神であるが、ここにも天孫降臨の説話がある。すなわち岐尼神(きねのかみ)が南の小丘に降臨したもうたとき、土民は臼の上に杵を渡し、荒薦(あらごも=むしろのこと)を敷いて迎えたという。「杵(きね)」「杵尊(きねのみこと)」のひびきは社名の起因と考えられる。また、天降った丘を今も天神山と呼んでいる。
社記によると、延暦元年(782)の創始以来、代々朝廷の勅願書であり、また将軍家代々の御祈願所であったという。また祭神に加わった「源満仲」については、多田の地に入部以来家臣の多くが統治に入り、開発治世にあたったその君恩を、子孫に伝えるためと言われる。
古代、この地が極めて重要な地であった可能性が、サラリと書かれています。
祭神のニニギ(瓊瓊杵尊)といえば、アマテラスの子にして天皇家の祖先と言われる伝説上の神、そしてアマノコヤネ(天児屋根命)はニニギの天孫降臨に付き従った中臣家(藤原家)の祖先とされる神です。て、て、天孫降臨!?この能勢の山奥に・・・!?
極めて不自然です。
天孫降臨については、上記説明板に解説がされていますが、降臨したのは「杵(きね)」の神ということになっている。祭神がニニギノミコトであるにも関わらず??
ニニギ = 杵の神 = 岐尼(きね) ??
そして、782年という古い年代の創始であり、代々朝廷の勅願書であったという記載からは、やはりこの地が重要であったことは間違いなさそうです。
今や大阪の片田舎、大阪人にすら見向きもされなくなった能勢の山奥に、こんな重要な地があったということはなんとも奇妙です。
(ちなみに、古代北摂のキーパーソンの一人である開成皇子は死は781年とされる)
ただ、歌垣山の伝承にあるように、能勢の地は縄文時代から人が住んでいた形跡があることから、大和王権ができたころには既にこの地には地元の豪族が住んでいた可能性が考えられます。それは、朝廷にとって重要な存在だったのでしょうか?あるいは、土着の豪族に変わりこの地を治めるために、天孫降臨伝説の権威を用いたのでしょうか??さらに妄想を膨らませると、杵の神こそ土着の一族で、朝廷に服属の意を示すためにニニギを祭神としつつ、「きね」の呼び名だけ残ったとか・・・???すいません、全て私の妄想です。古代北摂の謎・・・想像が膨らみます。
・・・と思ってネット情報をあさっていたら、sazanamijiroさんという方のブログで深い考察がなされていました。
岐尼神社・なぜここに天孫降臨神話があるのか(sazanamijiroさんブログ)
すごいな、これ・・・
アクセス
岐尼神社へのアクセスはこちらです。
まとめ
境内に桜咲く、能勢の岐尼神社を参拝いたしました。
日本神話史上鍵となる重要な神が祭られる、不思議な神社でした。
古代能勢の謎については、また折に触れて考察していきたいと思います。
「能勢」の地のポテンシャルに一人でも多くの大阪人が気づくきっかけになれば幸いです♪