当ブログでは、大阪の魅力(特に北摂地区)を「へ~そうだったのか!」というちょっとためになる知識を交えながら、地味に発信しています。本日は、当ブログ的に推奨の強力なパワースポットをご紹介いたします。
「あした 星の王様に あいにいく」でおなじみの(?)、能勢妙見山(のせみょうけんさん)です。緑あふれる写真とともにどうぞ!
能勢妙見山:大阪府豊能郡能勢町
750年ごろ、行基が為楽山大空寺を建立したことにはじまるとされますが、その後数奇な運命を経て1603年に日蓮宗の霊場として生まれ変わります。
1603年といえば、関ヶ原の戦いの直後ですね!何があったのでしょう?詳しくは、ページ下の「能勢氏とは何者か」をご覧ください。
明神鳥居と山を登る立派な参道
標準的な明神鳥居です。仏教寺院ですが、神仏融合の名残りとして鳥居が建造されています。
距離のある階段を上ると・・・
「北極星信仰の聖地」です。モダンな建造物が緑に映えます。
境内からの見晴らし
見晴らし良好です。川西~阪神間を向いていると思われます。
ときわ台でしょうか。
境内
山門。
山門が大阪府と兵庫県の県境になっています。
歴史を経た、巨木と共存する寺社の雰囲気が落ち着きます。
苔むした石垣と新緑、巨木そして寺院。いい感じ。
能勢氏とは何者か?
さて、このように緑あふれる見晴らしの良いパワースポットの能勢妙見山ですが、その成り立ちは「能勢氏」が辿った数奇な運命と関係します。大阪府能勢町の地名ともなった武士一族「能勢氏」とは、一体何者なのでしょうか?
能勢妙見山は、750年ごろ行基が開山したことがルーツとなっていますが、986年ごろ、源満仲が屋敷で奉っていた神像を当地へ遷座いたします。
「源満仲」。もしもその名をご存知の方がいれば、それは世にも珍しい当ブログのコアな読者!笑。現在の川西市多田に多田院を作った源氏の一派(清和源氏)ですね。
源満仲の孫の源頼国が、現在の能勢の地に移住して「能勢氏」を称するようになり、この地の領主となりました。つまり、「能勢氏」とは武家の名門・源氏の一派ということです。現在は田舎のまま残っている多田~能勢にかけての地域は名門武家の一族が拓いた土地ということになります。
時は流れて戦国時代、能勢氏(能勢頼次)は明智光秀の取り次ぎで織田信長に仕えるようになりました。その縁もあり、明智光秀が本能寺の変で織田信長を打ち取ってからは、明智光秀の傘下になります。京を守るにあたって能勢の地は、西国街道を経由せず、亀岡周りから京に入るルート上にあるため、わりと戦略上の要所ともなります。
「明智光秀の部下」の能勢頼次。さて、この時点で未来を知る我々が、能勢頼次に何か助言をするとしたら、何を言うでしょう?
1.「このまま行け!次の天下人は明智光秀だ!」
2.「やめとけ、早く秀吉側についた方がいいぞ!」
多分、2でしょうかね。
みなさまご存じの通り、明智光秀は豊臣(羽柴)秀吉によって打ち取られます。その後、能勢頼次は秀吉に攻撃されて、能勢の地を落ち延びることとなります。ほら言わんこっちゃない!ちなみに、能勢の地を落ち延びた後は、妙勝寺という日蓮宗のお寺に落ち着きます。
ですが人生どうなるか分からないもの。秀吉死亡後、天下は関ヶ原へ。能勢氏は徳川家に加勢することとなります。これが功を奏して、徳川家の天下となってのち、能勢頼次は能勢の地の領主に返り咲きます。何が幸で何が不幸か分かりませんね。人生まさに塞翁が馬。
その後、能勢頼次が日蓮宗に帰依したことで、1603年日蓮宗の霊場として生まれ変わることになりました。
いかがですか?数奇な運命ではないでしょうか。
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能勢妙見山へのアクセス
ちょうど、大阪府と兵庫県にまたがっているのが分かりますね。
能勢電鉄妙見口からケーブルとリフトを経て、鉄道でもアクセスできます。
山頂に広い駐車場もありますので、自動車でも行けます。途中はくねくね道です。駐車場は有料で500円です。
近くにハイキングコースやバーベキューテラスもありますので、丸一日遊べます!
まとめ
このように、いまはひっそりとした田舎の「能勢」にもわりと激動の時代がありました。
数奇な運命を経た北摂最大規模の霊場に思いを馳せながら、ハイキングを兼ねてお参りは如何でしょうか?パワースポットとしては、北摂最高レベルと当ブログ的には思います。