本日は、「北摂のおいなりさん」こと、豊中稲荷神社をご紹介いたします。
京都の伏見稲荷大社を頂点とする稲荷系の神社ですが、豊中稲荷神社は北摂地区における最大規模のおいなりさんとなっています。
豊中稲荷神社は北摂を代表するおいなりさん
ということで、ある意味では北摂を代表する神社のひとつともいえる豊中稲荷神社ですが、どこにあるかというと・・・
ここです。阪急豊中駅から徒歩7~8分。
では、風景をみていきましょう。
鳥居と参道
まずは神社入り口の鳥居。
稲荷系神社の証ともいえる「台輪鳥居」です。通常の明神系の鳥居のように見えますが、二本の柱のてっぺんに円形の「台輪」がついているのが特徴とされます。京都の伏見稲荷大社でもこうでした。
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台輪鳥居の連続鳥居。
参道より本殿をのぞむ。
境内と本殿
手水舎。
境内の風景。
この神社の特徴として、たくさんの摂社、遥拝所があります。
山の神。松尾神社。
三聖地遥拝所。左から明治神宮、伊勢神宮、橿原神宮。
神社本庁とは距離を置いている伏見稲荷系の神社の中に、こういうのがあるのはとても興味深い。
髪嶋神社(毛髪の神はここに・・・!!)、岸野神社(縁結びの神)、海神社(水の神)です。
ここに来ると、いろいろな神様を参拝することができます。そのチョイスが誠に興味深い・・・
本殿。
稲のマークは、豊穣の神の省庁でもあります。
境内の様子。けっこう広々としています。
このアングル、どうでしょうか。
由来と歴史
当社は、行基によって建立された金寺(かなでら)の鎮守社として創建されたと社伝にある。 しかし当社が鎮座する宮山丘陵は、新免宮山古墳群もあったように、古代より祭祀が行われた聖地であった。 天正6年(1578)織田信長は、伊丹城主荒木村重を攻略する際、高山右近に命じ近郷悉く焼き払い、 当社もその災厄にあった。その後、人心落ち着いた慶安4年(1651)社殿を再建し、神璽を奉安した。 そして昭和45年(1970)再建320年を機に社殿等を一新し、「北摂のおいなりさん」と謳われる御社となった。
織田信長と高山右近めちゃくちゃしとるな~。そういう戦火を乗り越えて、現代に至っております。
主祭神は宇迦御魂神(うかのみたまのかみ)、天照皇大神(あまてらすおおみのかみ)、月読命(つきよみのみこと)です。
宇迦御魂神(うかのみたまのかみ)=お稲荷さまは、米の生成をつかさどる豊穣の神です。アマテラスはともかく、ツクヨミが祭られている神社は珍しいような・・・
ちなみに、明治42年発行の古地図で見てみると、こんな感じです。
今昔マップ on the web(http://ktgis.net/kjmapw/index.html)より地図を引用しています。
「豊中」のメインの集落は岡町駅近くの桜塚地区であり、現豊中駅の周辺は小規模な集落があるのみです(「新免」)。現在は豊中駅周辺の方が栄えているようにも思いますが、豊中稲荷神社はもともと田んぼの中にあった神社だと思われます。
まとめ
本日は「北摂のおいなりさん」こと、豊中稲荷神社についてまとめました。稲荷系神社としては、北摂地区最大規模と思われます。いろいろな神様をまつった摂社もたくさんあり、いろいろなご利益がありそうです。ぜひ一度、ご参拝くださいね!