本日は、阪急宝塚線の駅名にもなっている「服部天神」についてご紹介いたします。ちなみに、2013年までの駅名はただの「服部」でした。
足の神様の足祭り!大阪府豊中市の服部天神
服部天神は、菅原道真がこの地でお休みになられた際に足の病が癒えたことを由来として、「足の神様」という一風変わったご利益の神社となっています。
境内の様子
これは西側(阪急電車側)の門。
入ったところに菅原道真公も祭られております。学業成就です。
菅原道真の逸話は西暦901年とされますが、この神社のルーツはもっと過去に遡ります。
渡来人の集団「秦氏」が允恭天皇の御世(412年 - 453年)に織部司に任じられ、当地を服部連の本拠とした際、外来神の少彦名命(医薬・病気平癒・健康の神様)を小さな祠にお祀りしたことが服部天神宮の始まりです。
(神社HPより)
うおぉ~!北摂地区の神社の歴史は古く、創建年不明のものが多くありますが、服部天神については412~453年ごろとだいたいの年代への言及があります。もともとの祭神は少彦名命(医薬・病気平癒・健康の神様)!
渡来人「秦氏」については、あとで言及します。
東側の鳥居と参道。
色鮮やかな緒の下駄が吊り下げられており、写真映えいたします。
ええやん、足祭り。
本殿、主祭神は少彦名命(スクナビコナ)と菅原道真。
ご神木とえびす社。1月には大阪のえべっさんとして商売繁盛を願う人々で境内はにぎわいます。「福娘」発祥の地でもあるそうです。
ところが、阪急沿線沿いの西国七福神巡りでは、「恵比寿神」は池田の呉服神社となっており、服部天神は西国七福神巡りには含まれていません。たまに混乱する・・・
由緒
神社の由緒については、社内に図での解説がありますので、見ていきましょう。
中国からやってきた「秦の人々」は、織機の技術を日本に伝えたため、「秦(はた)氏」という姓をあたえられました。
このあたりにも秦氏の人々が住んでいたので、「服部」の名前の由来になったと思われています。
「はた」さんが住む場所→「はっとり(服部)」。
そうなのか~!!服部の地名の由来にはそんな歴史があったんですね!
そして、秦氏が祭ったのが少彦名命(スクナビコナ)だったというのは、先に述べた通りです。
ここからは菅原道真のターンです。
このエピソードの中で、超おもしろいのは、
「少彦名命(スクナビコナ)は、神代の昔、大国主神(オオクニヌシ:出雲の豪族と思われる)と協力して国土を治められ、さらに遠く海外の地をも巡られて、この世の生き物たちのために医薬の方法を定められ・・・」
スクナビコナが海外に行ったとの言及があります。やっぱり渡来の神なのだ・・・本当に、秦の時代に日本にやってきた人々だったのでしょうか。
以下、続きをご覧ください。
話は変わりますが、大阪市の淡路近隣にも「菅原」の地名が残ります。当時、中洲がたくさんあった大阪の地にて、現在の淡路のあたりを菅原道真が淡路島だと勘違いしたことが由来とされますが、現在の阪急の駅名に当てはめれば、菅原道真公は九州へ流されるとき淡路駅→服部駅のルート(能勢街道?)をたどったと推測されますね。
アクセス
服部天神宮の場所はここです。
阪急宝塚線、服部天神駅から徒歩2分程度。
まとめ
大阪府豊中市の服部天神についてまとめました。
そのルーツは西暦400年代に遡ります。渡来人系の秦氏がこの地に住み着き、小さな社を作ったのが由来と考えられます。
秦氏の名がやがて、服部の地名となりました。
菅原道真の足の病が癒えたことから、「足の神様」という全国でもまれなご利益の神とされています。
秋には足に由来した足祭りも開催されます。
また、「福娘」発祥の地でもあり、大阪のえべっさんとして、1月には商売繁盛祈願でにぎわいます。
阪急服部天神駅からすぐ近くの歴史ある神社に、ぜひご参拝してみてくださいね♪